野口英世 医聖を育んだ人々・アーカイブ

 本県が生んだ医聖・野口英世博士。生誕130年に当たる2006年、小泉純一郎前首相の提唱でアフリカの医学・医療の貢献者をたたえる野口英世賞が創設されるなど、偉業があらためて注目されている。本紙が2004(平成16)年に連載した「素顔の野口英世」に続く企画として、野口博士を支援し、人間形成に大きな影響を与えた人々に焦点を当て、医聖を育はぐくんだ温かい人の輪を紹介する。前企画に続き、野口英世記念館学芸課長の小桧山六郎さんが執筆する。

ペンシルベニア大学で研究をする英世
日本人として最初と言われている野口博士のカラー写真=1914(大正3)年、アメリカで撮影
三越百貨店での記念撮影。(右から)小林栄先生、夫人の俊、野口博士、母シカ、宮原八重子(野口博士の友人・宮原立太郎博士の妹)=1915(大正4)年10月6日