校歌、子どもの道しるべ 谷川俊太郎さん死去、福島県内に多くの足跡

2024/11/20 07:30

福島市で開かれた全国生涯学習フェスティバルで自作の詩を朗読する谷川さん=2008年10月
谷川さんの追悼コーナーで、学校とのつながりを示す資料などに見入る子どもたち=大熊町・学び舎ゆめの森

 13日に92歳で死去した詩人の谷川俊太郎さんは、県内でも多くの作品を残した。震災と原発事故後、新たに開校した双葉郡の中高一貫校「ふたば未来学園」(広野町)と、義務教育学校「学び舎(や)ゆめの森」(大熊町)の校歌の作詞を手がけ、歌詞を通して子どもたちを後押しした。

 「シンプルな言葉の中に大熊が目指す教育、子どもの姿を凝縮して表していただいた」。学び舎ゆめの森の増子啓信副校長(53)は、校歌制作に携わった当時を懐かしむ。

 谷川さんから依頼され、校舎の図面や目指す教育の姿、子どもたちの思いを書いた手紙などを送った。「ゆめのもりで まなんであそぶ」などの歌詞は、学校の目指す姿が表現された言葉だったとし、増子副校長は「校歌が学校にも子どもにも指針になっている。感謝しかない」と惜しんだ。

 「地球に生きる人はみな 違うからこそ面白い」(ふたば未来学園)や「ひとりもいいけど でも やっぱりみんなといっしょがいいな」(学び舎ゆめの森)など、両校の校歌には、子どもの背中を後押しするような言葉が詰まっていた。

 ふたば未来学園の開校時に副校長を務めていた、学び舎ゆめの森の南郷市兵校長(45)は「両校ともに、子どもの学びの道しるべとなるような詩を残していただいた」と感謝した。

 学び舎ゆめの森では19日、谷川さんの追悼コーナーが設けられ、サインが入った校歌の歌詞カードや本などが並んだ。後藤愛琉(あいる)さん(12)は「校歌を初めて聞いた時から、歌詞の楽しそうな雰囲気が好きだった」とし「これからもたくさん歌っていきたい」と話した。

 合唱曲、レリーフにも

 谷川さんは生前、県内各地で県民と多くの思い出をつくった。

 1973年の金透小(郡山市)創立100周年に合わせ、「金透讃歌」を作詞した。作曲したのは今年7月に亡くなった同市出身の作曲家湯浅譲二さん。長年の友人だった湯浅さんと共に同校を訪れたこともある。嶋忠夫校長は「校歌と共に親しまれてきた大切な曲。これからも歌い継いでいきたい」と話す。

 谷川さんの詩は、合唱曲にも数多く採用されている。旧安積女子高(現安積黎明高)合唱部の委嘱作品「女に」は、谷川さんの詩集「女に」に作曲家鈴木輝昭さんが作曲した組曲。97年の初演で指揮した県合唱連盟理事長の菅野正美さん(69)は「この作品に曲を付けたい、という鈴木さんの強い意志があった。詩と曲が一つになった名曲です」と語る。

 いわき市では、08年のアリオス1次オープン時に「アリオスに寄せて」と題した4編の組詩を寄せた。当時から働く佐藤仁宣さん(46)は「アリオスの原点であり、われわれスタッフの合言葉」と話す。詩は中劇場の外壁にレリーフとして刻まれている。

 谷川さんは、詩人草野心平(いわき市出身)とも親交が深く、心平が死去した1988年11月には「送る集い」で弔辞を読んだこともあった。

 和合さんとも共演「背中追い続ける」

 福島市在住の詩人和合亮一さん(56)は2004年に同市で開かれた「真夏のソネット」や、08年の全国生涯学習フェスティバルなどで共演し、25年ほど交流を続けていた。

 和合さんは「いつも穏やかで、若手にも心配りをしてくださっていた。一方で詩へのまなざしは厳しくりんとしていた。ずっと背中を追い続けている感覚だったので、今は喪失感が大きい」と悼んだ。

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